温泉権の評価 その2(特殊評価)
はじめに
このところ、起業者から「温泉利用権の消滅に係る補償」について補償額の算定依頼や、補償のあり方について相談を受ける事が多い。公共事業の取得に伴い温泉利用施設の移転を余儀なくされる場合であっても、源泉自体の機能が維持されていれば、パイプライン等を通じて移転先で営業を継続出来るので、移転費等のほか一定期間の営業休止補償を行う事で足りるため、「温泉利用権の消滅」に該当するものではないと考えられる事から、損失補償としては特に珍しい話ではない。
しかし今般、依頼を受けて補償額を算定したり補償のあり方について相談を受けた事例は、いずれも源泉そのものが消滅する、まさに「温泉利用権の消滅」に係る事例であり、奇しくも未利用の温泉という共通した事案であると同時に、現行の補償基準では被起業者の理解を得られ、一方では予算執行上の諸問題をもクリアし、アカウンタビリティに耐え得るような適正な補償額を算定する事が困難である事から、補償基準の解釈上の問題点を踏まえた上で適正な補償のあり方を提案したものである。
なお、今回寄稿する以下の内容は、実際に担当した業務およびこれを前提に補償のあり方として実際に起業者に対して提案を行った内容の要旨であるが、補償コンサルタント業者としての守秘義務等に留意する必要性から、試算過程等に付き具体性を排除し、現行の補償基準の問題点を条項毎に指摘した上で、一般論を述べるに止めている。その結果、全体として抽象的な提案となっている感は否めないが、ご理解頂きたい。
温泉利用権の消滅に係る補償
「温泉利用権の消滅に係る補償」は、「公共用地の取得に伴う損失補償基準」(以下「基準」という)第22条で次のように定められている。
1.正常な取引価格を持って補償する。
2.近傍類似の温泉利用権の取引の事例がない場合においては、
-a.鉱泉地の基本価格(A)×湧出量指数(B)×温泉地指数(C)×修正係数
(A)、(B)および(C)は、固定資産評価基準に定める所による
-b.分湯された権利については、前号の評価額を基準として
分湯量の割合および分湯条件等を考慮して適正に算定した額
-c.未利用の温泉利用権であって、将来利用される見込みがあり、かつ収益が不確定なものについては、その温泉利用権に関し投下された適正な費用を現価に換算した額
なお、基準細則第九第三項(人工湧出の場合、揚湯施設等については別途補償しない)の趣旨から、温泉利用権に関し投下された費用には、揚湯施設等を含むものと解される。
実務上の問題点
基準第1項について
温泉利用権、特に源泉の取引事例が収集出来る事はほぼ皆無とみられ、土地の取得に係る補償のように、取引事例比較法を基礎とした正常な取引価格を把握する事は出来ない。
この場合、基準第2項第2号にいう分湯された権利の価格、分湯量の割合および分湯条件等が明らかであれば、これらを基準として源泉の価格を導き出す事が論理的に可能であるが、当該分湯された権利の価格等に係る確実な資料を収集出来る事も稀である。
なお「温泉権の研究」(川島武宜ほか編)では、分湯の権利関係を
1.温泉権の共有(民法上の準共有)
2.温泉権者との契約によって、非温泉権者が温泉の利用採取をする権利(=分湯権)
3.債権的分湯権(以下のa、bまたはcがこれに該当する)
-a.一時的利用である場合
-b.温泉権者の余剰湯を利用するにすぎない場合
-c.利用の対価を伴わず、その他当事者の特別な人的関係に基づき特に好意的に分湯するもの
に分類しているが、基準第2項第2号にいう分湯された権利は、文理上2.を称しているものと解されるので、分湯権の価格を基準として源泉の価格を求めるにあたっては、分湯契約の有無、内容等に付き確認し、確実に分湯権としての実態を備えているものを対象とする必要がある。
基準第2項第1号について
鉱泉地の評価に係る固定資産評価基準が、平成12年度評価替えを機に廃止された事に伴い、鉱泉地の基本価格等評価の拠り所を失ったため、これを補償額の算定基準として採用する事が困難である。改正前の鉱泉地の評価に係る固定資産評価基準を準用する方法も考えられるが、
・温泉利用権は、源泉の存する土地の所有権とは別個の独立した物権(慣習上の一種の物権的権利=判例)であり、鉱泉地は「源泉の存する土地について課税上の便宜から施された地目上の分類」(前掲「温泉権の研究」)にすぎず、鉱泉地の評価額が必ずしも温泉利用権の経済価値を表示するものとは限らない。
・温泉地指数の高くない地域に属し、かつ湧出量が豊富でない源泉の場合、その評価額が第3号に定める「温泉利用権に関し投下された適正な費用を現価に換算した額」を下回る事が想定されるが、この場合、現に稼動中の温泉に対する評価額が未利用の温泉のそれを下回る事になり、論理的に矛盾する。
・古くからの有名温泉地等に立地しない日帰り温泉施設には、泉温が低く、かつ湧出量も少ないものが多いが、当該日帰り温泉施設の経営の基礎となっている温泉利用権に付き改正前の固定資産評価基準に基づく評価を行った場合、その額が相当低く算定される結果、温泉利用権に関し投下した費用を現価に換算した額との乖離が特に著しくなる。また、当該日帰り温泉施設等の収益性は一般的に高く、これらの施設の収益性は、温泉利用権の経済価値が施設の経営を通じて顕在化したものと考える事が出来るが、改正前の固定資産評価基準に基づく評価額は、当該施設等の収益性を直接反映しないため、被起業者の理解を得にくい。
・前掲「温泉権の研究」にいう旧慣温泉権の如く、歴史的に形成されてきた温泉地そのものの相対的な稀少性、その結果として、源泉の利用権者が当該温泉地における旅館経営者等一部の者に限定された事を背景として温泉利用権の経済価値が把握される場合には、改正前の固定資産評価基準に基づく評価は、説得力を有するものと考えられる。しかし、人工掘削を前提として源泉に対する権利者、温泉地とも格段に増加した今日にあっては、温泉利用権の経済価値は、温泉地としての名声に必ずしも比例しないため、温泉地指数を評価項目の一つとした固定資産評価基準に基づく評価は、合理的な根拠に乏しい。また、温泉利用権を取得するために投下した費用の額が考慮されないため、今や主流となった人工掘削により取得した温泉利用権の評価には、本質的に馴染まないものと考えられる。
基準第2項第3号について
・温泉利用権に関し投下された費用を現価に換算した額による補償は、補償理論上、特に人工掘削による温泉に適合した方法と認められるが、基準では稼動中の温泉についてこの方法を想定していない。
・温泉利用権に関し投下された費用には、調査、掘削、揚湯等に要する費用が含まれるが、昨今の技術進歩に伴い、温泉採掘は、専門の業者がこれら一連の事業を一体として行う事が通常であり、掘削における管口径等に影響する地盤等の自然的条件に差異がない場合、メートルあたりの掘削費用は概ね同額に積算される傾向にある。この結果、泉温、湧出量等の源泉が有する個別性、立地条件の相違等が評価額に適切に反映されない。
・温泉はそれ自体で収益を生む事は稀であり、温泉の存在を前提とした施設等の経営を通じて初めてその経済価値が実現する。この場合、温泉利用権に関し投下された費用の額が、温泉利用権を基礎とした施設等の経営により全て回収されるとは限らないため、特に未利用の温泉利用権について補償額が過大となる可能性がある。
補償方法の検討
3基準第2項第3号は、「収益が不確定なものについては」と規定しているので、温泉利用権を基礎とした施設等の経営に基づく収益が、近傍類似の施設等の経営状況から明らかになれば、当該収益を基礎として温泉利用権の補償額を求める事が可能であるものと解される。この場合、温泉利用権を基礎とした施設等が生み出すであろう将来収益は、温泉利用権に関し投下された費用の回収可能額とみる事が出来るので、当該投下された費用の現価額を積算する方法により求めた額と比較検討する事により、適正な補償額を求める事が可能となる。
ここでは、温泉利用権および分湯権に係る取引事例がいずれも収集出来ないため、正常な取引価格による補償を行えない事を前提に、以下具体的な補償方法について検討する。
温泉利用権の経済価値(評価額)の試算
・温泉の採掘(調査費を含む)および揚湯設備の設置に要す・る費用を積算する。
→不動産鑑定評価基準にいう原価法
・温泉を利用する事により得られる純収益(温泉利用施設を経営する場合であれば、当該施設の営業によって得られる純収益から、土地、施設等に帰属する純収益を控除した残余の純収益)の現在価値の総和を求める。
→不動産鑑定評価基準にいう収益還元法
上記より、それぞれ温泉利用権の評価額を試算する。
なお収益還元法には、直接還元法とDCF法があるが、いずれの方法を適用するかについては、収集可能な資料の範囲等に即して選択する。一般的には、評価時点における純収益を把握する事が比較的容易であるのに対して、連続する複数の年度毎に発生する純収益を評価時点において予測する事は困難である事から、直接還元法を選択する場合が多いものと考えられる。
また、直接還元法を適用するにあたっては、
・想定される温泉利用施設に一定の経済的耐用期間があり、当該期間の経過後においても営業を継続する場合には、追加投資が必要となる事。すなわち、評価時点において把握された純収益が得られる期間は有限である事。
・長期にわたる将来収益の見積もりは、不確実性が高くなる事。
以上の事から、最長でも施設の経済的耐用期間とみられる15~20年程度の有限の収益期間を基礎とした有期還元法が適切である。
評価額(=補償額)の決定
上記より試算されたそれぞれの価格に付き、評価にあたって採用した資料および各手法の有する特徴を踏まえ、特に温泉利用権に係る最近の市場特性に留意し、より説得力を有すると認められる価格を重視して評価額(=補償額)決定する。
この場合、
・想定される温泉利用施設に一定の経済的耐用期間があり、当該期間の経過後においても営業を継続する場合には、追加投資が必要となる事。すなわち、評価時点において把握された純収益が得られる期間は有限である事。
・前記の通り、温泉の採掘に要する費用は、地盤等の自然的条件に専ら左右されるため、当該自然的条件に差異がない場合、積算価格は、掘削深度に対応してほぼ同じ額で試算される可能性が高く、泉温、湧出量等の個別性、立地条件による収益性の相違等が適切に反映されない事。
・温泉はそれ自体で収益を生む事は稀であり、温泉利用施設の営業を通じて、その経済価値が実現する事。
・既存の温泉利用施設の経営状況を分析する事により適切な純収益を把握する事が可能であり、その現在価値を求めるにあたり採用する割引率等は、旅館業等の平均的な収益率に留意する事で妥当性を担保し得るので、当該純収益および割引率等を基礎とした収益還元法に基づく価格(=収益価格)は、温泉利用権に係るマーケットの実態に適合する事。
・収益性は立地条件に負う所が大きく、観光地(オートキャンプ場、スキー場、海水浴場等を含む広い意味での観光地で、温泉地に限定されない)としての成熟度、集客力等が総収益の差として顕在化するので、地域性を反映した価格が試算される事。また、泉温、湧出量等の個別的条件の相違についても、これらを施設の維持管理に要する費用の多寡として純収益に適切に反映させる事により、当該個別的条件の差異に即応した適正な価格を試算する事が可能である事。
・収益価格は、温泉利用施設等を通じて得られる将来収益を現在価値に割り引く事により求めるものであり、温泉利用権を取得するために投下した資金の回収可能額として把握される事。
以上の事から、収益価格により説得力があるので、決定にあたっては収益価格を重視すべきである。