第123号(2019年夏号)
補償コンサルタント業務について
補償コンサルタント業務といえば「公共事業に必要な土地等の取得、若しくは使用に伴う土地等の調査及び補償算定と補償に関する相談、説明、交渉等の業務」が挙げられます。さらには「公共事業の施行に伴って生ずる損害等の調査及び費用負担の算定」が挙げられます。
従って、これら以外の業務にあっては、今日まで積極的には取り組んでこなかったのが補償コンサルタント業者の一般的な対応であったように思います。
しかしながら、東日本大震災以後、環境省が扱う災害廃棄物処理業務(公費解体処理業務)に関しては、東北での大震災をかわきりに熊本地震の熊本、大分県の各被災市町、西日本豪雨では広島、岡山、愛媛県の各被災市町から、そして北海道胆振東部地震では北海道の被災市町からと補償コンサル復興支援協会は多くの被災市町から要請を請け被災県部会会員が中心となって復興業務に取り組んできています。公共用地取得とは無関係ではありながらも、業務として大きな実績を挙げてきています。
そして今後、被災した東北各県や熊本、広島、岡山、愛媛、北海道以外での震災等も、研修を重ね、かつ経験ある県部会会員の指導のもと、被災した県部会会員を中心に災害廃棄物処理業務を実施する事にしています。
また、税務関係でも地域によってかなりの差はあるようですが、家屋に関する固定資産評価に関して、沖縄では補償コンサルへの発注依頼が非常に増えています。
さらには昨年、法制化された所有者不明土地問題に関しても各整備局を事務局とする協議会協力会員として研究を進めていく事になっています。
いずれにせよ、今後は補償コンサル業者でも新規分野への積極的な勉強を進めていかねばなりません。その上で、発注者の要望に応えていく必要があると思っています。
補償業務に携わって
去年4月に入社し補償業務に携わるようになって、もう1年が経ちました。補償の分野は都市計画を進める上で最初のプロセスを構成する一つであり、街づくりに関することに携わりたいと考えていた自分にとってとても興味深い分野でした。
補償調査部の社員の多くは建築系学科を卒業しています。私自身は土木系学科を卒業したため、一部分野が共通しているとはいえ、触れることの少なかった建築分野については予備知識がほとんどない状態でした。
壁の種類、瓦の種類、屋根の勾配、果ては建築基準法といった関連法令までと覚えることが非常に多く、1年経った今でも覚えることは山のようにあります。また、あまり接する機会がなかった事柄に多く触れる機会があり、収穫も多い1年だったとも思います。
1年の間、補償業務を行う中で発注者という直接的な相手とは別に地権者という間接的な相手の存在を念頭に置かなければならないことを感じるようになってきました。
補償の仕事を発注するのは国であったり、自治体であったり、あるいは民間のディベロッパーであったりします。しかしその起業者は地権者と交渉し、最終的に契約を結ぶため円滑な損失補償を行う必要があり、起業者と地権者の二つの立場から考える事が重要となります。権利者が増えると立場がその分増えて複雑になっていくため「柔軟な思考」の重要性が最近になってようやくわかるようになってきました。当然のことではありますが、先日、業務を進める中で上司から同じことを指摘され、まだまだ一人前には程遠いなと痛感した次第です。
自分が入社した時、社内はリニア中央新幹線関連の補償業務が中心にあって、自分も積算と調査でとても多忙な夏場を過ごしました。1年が経ってその業務も佳境に入る中、滋賀県や三重県東紀州地区など、遠方の補償業務の担当になることが増えてきました。特に滋賀県は近畿地区ということもあり、積算方法や考え方において中部地区と比べ様々な部分で差異があります。過去には関東地区や復興支援業務の関係で東北地区の業務を請け負っていましたが、違った意味で思考の幅を広げる必要があり、興味の幅は広がる一方で、どんなことも取り込む頭は常に持っておかなければならないと改めて認識しました。
この先もこの気持ちを忘れることなく、着実に歩み続けていきたいと思っています。
初めての単身赴任
岩手から名古屋に赴任し4ヶ月が経過しようとしています。
私が元々住んでいた場所は国道に近いとはいえ片田舎の農村地域で、夏は蛙や蝉の鳴き声、秋は虫の音、冬はしんしんと雪が積るのを感じられるようなところです。
皆さんは静寂をうるさいと感じたことはありますか?『シーン』という無音がうるさいと感じる世界です。そんな環境で生活してきた私にとってこちらで最初に直面した問題は騒音でした。
今、住んでいる場所は名古屋中心部に近いため幹線道路や高速道路からの自動車の騒音、明け方まで営業している店舗に来る悪い輩の大声や車の騒音、電車の線路・鉄橋から響いてくる騒音…。しばらくは窓を閉めても眠れない日々が続きましたが、だんだんと騒音にも慣れてきたのか、窓を開けたままでもなんとか寝ていられるようになりました。
ところがここ最近、蝉という明け方の新たなキャラが加わり、そろそろ窓を閉め切ったエアコン生活を送るしかないのかと考えています。就寝時のエアコンがあまり得意ではないのと、それに慣れてしまう事を心配しています。
愛知県は何かと縁があり、社会人になって初めて訪れた街です。短い期間ではありましたが毎月の営業会議で訪れていました。残念ながら名古屋市内まで足を運ぶことはありませんでしたが、伊良湖の「大あさり」は本当にうまかった。
愛知県は中部地方、東海地方、中京圏など様々に呼ばれていますが、地理的にはざっくりとしか頭に思い描くことが出来ず『クワガタの形をした所』などとまるで小学生レベル。静岡の次、北が岐阜で西が三重ということも最近になって理解出来ました。岩手からは飛行機であれば1時間弱で移動出来てしまうため、距離的な感覚が麻痺してしまいますが、やはり遠いですね。
今年度から㈱新日の一員となり微力ながら業務を行っていますが、過去のミニコミ等から本当に皆さんのご苦労の上に復興・復旧が成り立ってきたのだと感じました。私自身は被災した訳ではありませんが、通常業務や自分の生活を守る事に精一杯で、復興業務やボランティアなどに携わることが出来ず、沿岸に足を運べたのも1年が経過してからです。現地に赴き作業された方々、今も現地で業務を行っている方々には本当に頭が下がります。
補償業務を行うためには、損失補償基準や損失基準要綱を解釈することになりますが、各地区の用地対策連絡協議会が定めた標準書には若干の地域性があります。簡単なものでいえば一般住宅に設置されている雪止めや工作物等の耐雪型ビニールハウスです。東北にあって中部にはない、逆に中部にあって東北にはない項目があり、自分の経験で作業をしようとしても当てはまらない事があり困惑してしまいます。また一番困っているのは『準用する』の考え方や認識が乖離している事です。標準書掲載の工作物と同等の物が現地に存する場合は悩みませんが、規格・形状寸法・種類等が異なった場合、類似単価を準用するか、新規に単価表を作成するかは経験で判断するしかありません。単価表を作る作業は時間を要するため出来るだけ省きたい項目ですので、許容範囲の度合いをなるべく早く理解したいと思います。
東北では東北地方整備局用地部が作成している『用地補償業務関係書類作成要領』なるものが毎年発行され、最新の様式や必要事項の記入例などが掲載されています。文言ではありませんが端数処理方法が計算例から読み取れる場合もあり、成果物を作成するうえで非常に重宝していました。残念ながらこちらでは同様の要領等は発行されていないとの事。あまり取り決めが多いと慣れるまでは窮屈で面倒ですが、一旦覚えて慣れてしまえばミスや手戻りも少なく品質向上や統一性を図ることが可能となるため、発注者にとっても有意義だと思うのですが…。
★かまいしだより№24
ラグビーのまち釜石に「BRAVE BLOSSOMS」がやって来た!
釜石を訪れたことのある方、またメディアを通じてご存知の方も多いと思いますが、遠野方面から釜石市内に入ると日本製鐵釜石製鉄所の屋根に「ようこそ鉄と魚とラグビーの街 釜石へ」と書かれています。
私が7年前に釜石を訪れた時に目にしたこの光景は、今も変わらず来訪者を出迎えてくれています。
ラグビーのまち釜石でラグビーワールドカップ2019日本大会の開催が決定した後、メディアでも取り上げられることも多い釜石鵜住居復興スタジアムでは、フィジー対ウルグアイ、ナミビア対カナダの2試合が予定されていますが、今大会で唯一新設されたスタジアムでの試合がこの2試合だけでは物足りないという思いがあったのは私だけではないと思います。
そこに朗報がもたらされたのは昨年暮れの事でした。ワールドラグビーパシフィック・ネーションズカップ2019日本ラウンドで、鵜住居復興スタジアムに日本代表対フィジー代表の試合が組み込まれたのです。
ワールドラグビーパシフィック・ネーションズカップは環太平洋地域の2番手グループで行われる国際的にも注目度の高い大会です。興行的にも美味しい日本代表の試合を16,000席の鵜住居に組み込んだ日本ラグビーフットボール協会に称賛を送りたい。
さて、ラグビーの各国代表チームにはそれぞれ愛称があるのはご存じでしょうか。最も有名なのはニュージーランド代表の「オールブラックス」で試合前に「ハカ(Ka mateKa mateのリズム)」を踊ることでも有名な世界最強のチームです。オールブラックスは黒いジャージの色から愛称が定着したようですが、他のチームは胸に輝くエンブレムに由来していることが多く南アフリカ代表は「スプリングボックス」、オーストラリア代表は「ワラビーズ」、アメリカ代表は「イーグルス」と言ったところです。
我が日本代表の愛称はご存じでしょうか?エンブレムは国花である桜がデザインされていることは有名だと思いますが、その愛称となると知っている人は少ないのではないでしょうか。その昔、私がラグビー部で現役だった頃は単純にジャパンと呼んだり、ヘッドコーチの名前を冠して平尾ジャパンと呼んだりしていました。海外では桜だけに「チェリー・ブロッサムズ」と呼ばれていたようですが、ちょっと可愛い感じで私は嫌だったことを覚えています。
今は「BRAVE BLOSSOMS(ブレイブ・ブロッサムズ)」=「勇敢な桜戦士」と呼ばれています。この愛称が何時から定着したかは定かではありませんが、第1回大会から9大会連続出場している日本代表も、第3回大会ニュージーランド戦では145対17といった大敗をしており、とてもブレイブと呼べるものではありませんでしたが前回の大会あたりからブレイブと呼ぶにふさわしくなってきたと思います。
前回大会まで1勝しかできていなかったチームが、前回大会で予選プールを3勝1敗の成績を残し、当時世界ランキング3位の南アフリカにランキング13位の日本が勝利したゲームは「史上最大の番狂わせ」「ジャイアントキリング」等と世界中に轟かせ「BRAVE BLOSSOMS」という文字も使われるようになってきたようです。
前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、そのブレイブ・ブロッサムズが釜石にやって来たのです。朝から釜石には代表のレプリカユニホームを着たファンが、車・シャトルバス・JR線等の交通手段で押し寄せてきました。市内のファンゾーンも大入りでしたが16,000人収容のスタジアムはジャパンカラーの赤一色満員状態。スタジアムに入れなかったファンはパブリックビューイングで応援。私は運良くチケットを入手でき試合を観戦することができました。試合も格上相手にブレイブ・ブロッサムズが勝利し、釜石は久しぶりにラグビー一色になり大いに盛り上がったのは言うまでもなく、夜遅くまで勝利の美酒に酔うラグビーファン(私も含めた)が釜石にあふれていました。
そして9月20日からラグビーワールドカップが日本で開催されます。鵜住居スタジアムで開催される2試合のチケットはsold outとなっているようですが、他のスタジアムではチケットが取れるゲームもあるようなので「4年に一度ではない!一生に一度だ!」を体感しに足を運ばれてはいかがでしょうか。
補償調査部 新たなステージへ
弊社は今年で創業50周年を迎え、補償調査部も補償コンサルタント業界では少しは名前が知られるようになったのではないかと思っています。
私が入社した頃の専務(現会長)の営業トークは『急ぎの仕事、面倒くさい仕事、誰もやりたがらない仕事は、新日へ!』だった気がします。おかげで社員は疲労困憊(笑)でしたが、その時の苦労があって今の自分があると思うので今は感謝しています。その頃、専務によく言われたのは『能力のない奴は、時間で勝負しろ!』だの『お前ら知ってるか?勤労感謝の日は働けることに感謝して仕事する日だ!』だの、今ではパワハラまがいの言葉でした(笑)。
そんな昭和の時代は、中部地区を中心に特殊物件(大規模工場、モーテル、神社仏閣等)の調査算定や移転工法等の理論構築、前例の少ない温泉権、鉱業権や営業権といった毛色の変わった仕事を売りにしていました。
次の平成の時代は、収用関係の業務を民間に委託する動きとともに、事業認定申請図書の作成業務を手掛け、そこから裁決申請図書作成業務を経て行政代執行にも携わることができるようにまでなりました。また、補償算定標準書の単価作成業務、総合補償業務、土壌汚染等の業務を手掛けてきました。
平成23年の東日本大震災発生時には少しでも復興のお手伝いができればと、岩手県釜石市の復興業務に熊谷組さんと携わり、日本補償コンサルタント協会が復興支援協会を立ち上げ中間貯蔵施設建設のための物件調査をやるとなれば中部でいち早く手を挙げ、まだ線量が高いために時間制限がある地域へ防護服を身に着け調査に乗り込みました。これには社内に賛否両論ありましたが、私は行って良かったと思っています。
その後、震災の復旧・復興事業を進めていく上で用地取得に伴う問題が徐々に顕在化し事業を推進するCM業務において用地担当が必要となり、『協力会社』としてこの業務に携わるようになりました。当初は『CM業務』って何?から始まって『とにかくやってみる!』の精神で平成27年に宮城県の道路事業からスタートし、今では福島県において道路事業2業務、河川・海岸事業1業務、河川事業1業務の計4業務を5名で担っています。当初は協力会社としてスタートしましたが今年度からは福島県県中建設事務所(福島県郡山市)及び福島県会津若松建設事務所(福島県会津若松市)発注の2業務において、設計共同体の一員として携われるようになり、東北地方において岩手県釜石市の次に福島県においても、少し『新日』の名前が知られるようになったのではないかと思っています。
私たち新日補償調査部は中部の小さな会社の1部署ではありますが、いつの時代も補償コンサルタント業界の先へ先へ、おこがましいですが常にトップランナー目指して今後も進んでいきたいと考えています。昨年は、日本補償コンサルタント協会の海外損失補償制度調査団に参加させていただき、インドネシアの土地収用について学び、弊社社長の次なる野望である海外事業進出に向け日々情報収集しているところです。
しかしながら、初心を忘れず『急ぎの仕事、面倒くさい仕事、誰もやりたがらない仕事は、新日へ!』
9年ぶりの海開き
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の海水浴場で、今年は震災後9年ぶりにオープンする箇所が4箇所あり、震災後最多の14箇所で海開きを迎えました。釜石市では市内で唯一の海水浴場であった鵜住居町の根浜海岸の海開きも9年ぶりの7月20日に行われました。
根浜海岸は大槌湾沿いに約1.5㎞にわたる海岸で白い砂浜と美しい松林で知られる三陸有数の景勝地として、日本の白砂青松100選にも選ばれた美しい海岸でした。海岸周辺にはキャンプ場やレストハウス等があり、トライアスロン国際大会の開催やグリーン・ブルーツーリズム(漁業体験等)等の様々な活動が盛んに行われた地域であり、震災前は年間平均8万人が訪れるほどの釜石市のレクリエーションエリア・観光・交流の場所でした。
しかし、海水浴客等で賑わった海岸は震災の地震により地盤が50㎝程も沈下し、津波で防潮堤が破壊され砂浜が削り取られるなどの被害を受けました。
震災後、被害を受けた海岸は岩手県の砂浜再生事業により砂浜の再生が進められており、再生する砂浜は延長450mで、幅は震災前と同じ30mの砂防突堤の整備を行っています。工事は海岸への砂の定着状況を確認するため2期に分けて行い、1期工事は150m、2期工事は残り300mを行い、今回の海開きは工事が概成した1期工事区間の150mで行われ、遊泳が可能となりました。
震災後初となる海開きに合わせ、根浜海岸では7月20日・21日の2日間に渡ってイベントも開催されて、多くの人が来場し非常に賑わっていました。
宅地やインフラ整備等は今年度で終わり、復興事業は終わりを迎えようとしていますが、今後は根浜海岸のような観光地等の人を呼び込む場所の整備等を行い、賑わいあふれる地域に活性化させることが必要なのではないかと感じました。
編集後記
今年は平年に比べ1週間ほど遅い梅雨明けでした。遅く梅雨明けしたため、突然の猛暑続きとなり、暑さに慣れていないことから体調不良を訴える方や熱中症が多く発生しています。エアコン等を有効活用し体調を崩さないようにして頂き、現場へ出る方は特に水分、塩分の補給とともにファン付き作業服などを利用して熱中症対策をお願いします。
当社の品質管理においては、審査機関を移行して最初の再認証審査を7月10日・11日に受け、問題なく継続可となりました。引き続き品質管理を確実に行い皆様方に満足して頂けるように努力してまいりますので、今後ともよろしくお願い致します。