社会資本の選択と集中による重点整備「水」
地球温暖化の現状
近年、地球温暖化が進んできたといわれている。この100年で地球全体の平均気温は0.6℃、日本の平均気温は約1.0℃上昇しており、その上昇傾向はほぼ直線的である。
雨量は、全国平均で年間約1700mmであって徐々にではあるが少雨化傾向にあり、温暖化に伴う蒸発散の増加もあるため、渇水被害発生の増大が懸念される。
最近の気温の変化では、2003年の冷夏、2004年の猛暑があった。降雨量の変化では、少雨のケースは、1994年と2002年の渇水、特に1994年の名古屋地区の渇水は、最大65%の取水制限と1日のうち19時間におよぶ断水があった。豪雨のケースは、2000年の東海豪雨や2004年の四国地方の豪雨等局地的な豪雨による洪水の発生があった。
このように、気象について極端な変化が見られ、振れ幅(平均的な傾向の直線からの飛び出し量)が大きくなる傾向にある。
社会資本整備への効果的な投資
この気象変化(地球誕生から46億年の長い歴史の中ではもっと激しい変化もあったので、ここではあえて異常気象とは言わない)に対応するためであっても、国、地方とも厳しい財政状況の下では、公共事業への投資を十分に行えないのが現状である。それでも国民生活の安全と安心を確保するためには、社会資本の整備は実施していかなければならない。このため、社会資本整備を効率的で効果的な投資とするため選択と集中による重点投資が必要となる。
都市部における社会資本整備は、人の目に触れやすく、住民1人あたりの投資効果も大きいため、国民もその投資に納得するかもしれない。しかし、過疎地域における社会資本整備への投資は、その効果が目に見えにくいため、国民の賛同が得られにくい。気象変化により多く発生するようになった地すべりや土石流災害は、こういった過疎地域で多くあまり国民の目に触れない場所での災害である。しかし、地すべりや土石流災害は、下流への大量の土砂移動による河床上昇を招き、河川氾濫の原因となったり、都市間を結ぶ幹線道路を分断したりするため国民生活への影響は大きい。国民生活の安全と安心を確保するためには、これらに対する整備こそ不可欠である。そして、少ない投資で大きな効果が得られるという点が重要である。
このため、過疎地域での社会資本整備は、多くの投資を必要とするハード対策(河川整備、砂防堰堤の築造、法面保護等)のみに頼らず、ソフト対策(ハザードマップの作成、緊急避難体制の強化、災害情報基盤の整備等)を併用する事が効果的であり、早急なソフト対策の充実が望まれる。
ダムの必要性
一時期脱ダム宣言がもてはやされ、ダム建設が矢面に立たされ、無駄な投資のように言われていた。しかし、それを唱える人は、氾濫区域に住んでいない人であり、土石流災害等の発生しない安全な場所に住んでいる人が大半であろう。もし災害発生確率の高い区域に住んでいたら、おそらく早急な対応をと唱える側に回るだろう。
またそれらの人が、なぜそんな危険な所に住み続けるのかと思われるかもしれないが、そこは先祖が切り開いた先祖代々の土地であるためなかなか移転出来ないというのが現状であろう。このような過疎地に残っている災害弱者である高齢者にとっては、移転に踏み切ろうにも移転先での新しい生活環境に馴染めないため、なかなか踏み切る事が出来ないのではとも考える。自分が高齢になって新しい生活環境に馴染めるかどうかを想像してもらえば、なかなか難しい事だと想像出来るであろう。ただし、村ごとの集団移転となれば、移転先でも知り合いばかりの集団となり、まだ可能かもしれない。
近年における気象変化への対応には、異常渇水、洪水が交互に発生している現状から考えると、ダムによる洪水調節能力および貯水能力への依存が不可欠だと考える。簡単にダム建設というが、ダムを1つ造るのには、費用はもちろんそれ以上に時間もかかるのである。
例えば、現在建設中の徳山ダムは、1976年の実施計画認可から完成予定の2008年まで実に32年をも費やしている。このダムに関しては、もともと利水ダム(計画時期が高度成長時代で水が多く必要であった時期)であったものを、今、水があまり必要なくなったからといって、治水ダムに変更して何とか地方自治体の了解を得て建設を進めている状況である。しかし、人間が快適に生活するために、水は不可欠であり、異常渇水の多発が懸念される将来においては、きっとこのダムの利水機能が見直され、このダムを築造しておいてよかったと思える日が来るのではとも考える。
必要以上に築造しようという訳ではないが、将来を見据えて他の地区、場所においても、出来る所ではダムを計画し築造しておく事が重要と考える。
食糧生産で必要な大量な水
脱ダム宣言は、アメリカから始まったが、それをすぐに日本に取り入れるのは問題である。地形状況や人口集中度等が全く違う所の考え方を鵜呑みにして取り入れるのは危険である。この脱ダム宣言で対象となったアメリカのダムは、大部分が日本のダムと違い、貯水池とは何の関係もない川の小さな堰の事である。
また、オランダやドイツでは、堤防の事をダム(DamまたはDamm)と呼んでいる事からわかるように、他国の考えを取り入れる場合、その国によって同じ言葉でも示すものが違うという事も認識しておかないと、取り返しのつかない事にも成りかねない。
日本という国は、自分の国の独自性より外国の文化を優先する傾向があるので特に注意が必要である。日本がこの脱ダムを真似して、水不足で困るようになってからでは遅いのである。日本は、必ずしも水の豊富な国ではない。河川の延長は短く、流速も速いので、いくら雨が降ってもすぐに海に流れ出てしまう。
我が国は現在、水不足で困っていないように感じるのは、バーチャルウォーター※に頼っているから一見水が豊富にあるよう錯覚しているだけで、現在の食料自給率の40%を100%(現実には不可能かもしれないが)とした場合、即水不足になるであろう。言い換えれば、それだけ大量に他国の水を使っているのだという事を認識して国内の水を確保し、大切に使う事を考える必要がある。
※バーチャルウォーターとは、間接的に消費している実際には見えない水の事で、仮想水とも呼ばれている。
次に食糧生産に必要な水の量と主要先進国の食料自給率を示す。
1kg当り必要農業用水
食料自給率
穀物自給率
供給熱量自給率の変化
1970年には60%もあった食料自給率が、2001年には40%。穀物に関しては、28%まで下がっている。また、畜産物の消費は伸びたが、食料自給率には家畜の餌も含まれているので、餌のほとんどを輸入している現状では、食料自給率は下がる一方である。
食料自給率の少ない我が国では、1日に大人1人が4,300リットルものバーチャルウォーターを使っている事になるといわれている。もし、何らかの原因で輸入がストップした場合、食料のみでなく水ですら不足する事態になる事を考えてもらいたい。
このような危機的な状態であっても、身近に食料品があふれている今日、どれだけの人が危機感を持っているであろうか。安全が確保されて初めて安心出来るはずなのに、安全が確保されているかどうかの確信もないまま、根拠のない安心に浸っているように思える。
例えば、河川改修を100年確率に対応出来るようにしたとする。すると100年に1度位しか洪水が発生しないならと安心するのではなく、無関心になってしまう。その無関心が無防備となり、被害を拡大する事になる。これは、全てにおいて安全度が高い日本であるがゆえ(これは良い事であるが)、物事に無関心な人が増え、平和ボケしている証拠である。
今後必要となる分野
限りある大切な資源である水の健全な循環を形成し、再利用する事が重要である。環境への負荷を軽減するため、最小の二次的なエネルギー利用での下水処理技術の開発、雨水等中水の利用技術の開発、上水の使用量を減らすための技術開発、工夫等を官・学・民が協力して取り組む必要がある。
また今後、より重要となる水の管理には、選択と集中による投資により、効率的で効果的な社会資本整備が必要である。効率的で効果的な社会資本整備を推し進めるには、河川、ダム、上下水、農業土木、電気、機械、気象等水に関する技術者の養成が必要不可欠だと考える。そして、これら技術者の縦割りの壁を取り払い技術交流を深め、協力して社会資本整備を効率的で効果的なものとしていく事が重要だと考える。